ギークハウス埼玉所沢つくりました。
ギークハウス埼玉所沢をつくりました。
2013年12月31日まで、東京・中野区の某ハウスにいましたが、わけあって埼玉の戸建てを1人で借り引っ越しました。
2階建ての1軒家なのですが、2階の2部屋がまるまる空いてしまっているので、シェアハウスでもやるか、となり今回の募集になりました。
下記、詳細です。
ギークハウス埼玉所沢/メンバー募集要項
(1)[居住形態]
正住民(パート住民は応相談)
(2)[スペース・設備]
2階建て1軒家、3K。
キッチン4畳、バス・トイレ別、リビング(1F・約7畳)、ルーム1(2F・約7畳、収納付)、ルーム2(2F・約5畳・ベランダ、収納付)。
モニタ&録画機能付きインターフォン、自動給湯機、エアコン、冷蔵庫、庭。
(3)[賃料]
25000円〜30000円(水道光熱費ネット代共同購入物などを含め35000円程度)
(4)[居住地]
埼玉県所沢市
池袋まで約30分、渋谷まで50分程度、秋葉原まで1時間。
(5)[募集対象]
IT、WEB、デザイン、アートなど専門的な領域に関わっている方、または関わる予定の方(学生含む)
(6)[募集人数]
若干名
(7)[福利厚生]
代表住民兼管理人の実家所有の山で年1回、マツタケ狩りが出来る権利(山口県)。
その他、鋭意準備中。
備考
ギークハウス埼玉所沢は、まだヨチヨチ歩きのハウスです。
洗濯機(購入予定)はありませんし、寝具も用意していただく必要があります。
ただ、いっしょに「シェアハウス」を作り上げていくというエキサイティングな毎日を送れることは間違いありません。
いっしょにナイスなハウスをつくっていきませんか?
興味を持たれた方、ご質問は下記アドレスにメールをお送りください。
imorino.yamori@gmail.com(件名:正住民応募)。
後ほど、管理人よりハウスの画像やより詳しい内容をお送りし、内覧の日取りを決定したく思います。
またメールには簡単な自己紹介を記入していただけますよう、お願い致します。
代表住民兼管理人のプロフィールは下記から。
http://d.hatena.ne.jp/ikkosekai1/20080222
AダルトVデオの想像力。
キミは今日もネットで動画を見たと思う。
ただの「動画」じゃない。
アダルト動画、アダルトビデオだ。
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アニメ系、素人系、人妻系、中○し系、妊婦系・・・。
そのどれもに、キミたちをただならぬ気持ちにさせるものが含まれていただろう。
キミはこう思っている。
「女優が美乳で興奮する」
「ハンディカメラで撮影されたような荒い画質がとても良い」
「ちょいブサの顔に○射したい・・・」云々。
主な被写体である彼女たちに、自分のダーティな想念をぶつけ続ける。
電子的に構成された彼女たちに、キミはキミ自身をたたきつける。
決してまじわることのない、電子と精子の切り結びだ。
キミは画面に切り取られた彼女たちの肢体のゆれうごきや、声音や色素などの混交されたものを頂いて、精をひり出す。電子に変換された彼女たちの諸々から、精を生成するキミ。電子を精に変換する、キミは装置になっている。
エロ雑誌やエロ漫画では得られない、電子の音と映像の混交をキミは愛している。エロ雑誌やエロ漫画は音が出ない。だからその行間を想像するしかない。コマとコマの移行を、写真と写真の移行を、想像力で穴埋めするしかない。そこには電子的なもので代替されるものがないから。キミたちは、自分の脳で自分の脳を刺激するしかない。自分の頭をつかって、自分の頭の中の一部の器官を刺激して、精を生成せんとす。
エロビデオはその過程をはぶいてくれる。想像を挟む余地なく、完膚なきまでにそれを一掃してくれる。
ありがたい。
でも、それは彼女たちに対するただまらぬ想念を、だれとも知らないカメラマンによって作られた固まった想像を押し付けられることを意味しているかもしれない。キミは、だれかの想像力の中で精をひり出す。そんな毎日をくりかえしている。
だからキミは、まだ想像の赴ける場所を探すことになる。
それは画面から不当なまでに切り出された、ある種の空白だ。
ペニスしか映らない男たち。
AV女優にしゃぶられる1本。
彼女の体につつみ込まれる1本。
肉の中に入っていく1本
ペニスは電子的に構成された彼女たちの肢体や声音を活性化させる。
きりりと潔い1本は、彼女たちにうってつけで見栄えがある。
白く、つやのある1本は彼女が取り扱うだけで、ブランドもののように魅力的。
小汚い皮をまとう黒ずんだ1本も、彼女たちにかかれば芳醇な干しブドウのよう。
1本1本が、キミたちの想像力の回転を加速させていくのを感じていくだろう。
断じて、ホモセクシャルの目覚めではない。
伊藤剛も言っていたが、自分の想念をたたきつける先が少しぶれているだけなんだ。
キミは、彼女たちとペニス1本1本に感情移入ができる。
感情移入とは想像力を、その矛先へ交わらせていくことだ。
キミは電子的な混交から精をひり出す。
画面の中のペニスの持ち主へ想念をたたきつけながら、ともに精をひり出す。
ペニスに想像力を働かせながら、脳を刺激している。
彼女たちの電子的な混交が背景になり、ペニスの躍動が前景化されているのに気がつくはずだ。
これは想像力の反転だ。
「だれとも知らないカメラマンによって作られた固まった想像」、その意図されたAダルトVデオ空間における想像力の反転。
それは「革命」に等しい。
キミたちは、そこで精をひり出したとき、革命者の1人になる。
革命の快感に身をふるわせる。
みこすり半の革命だったかもしれない、
皮の中での革命だったかもしれない、嘘の女肉の中での革命だったかもしれない。
でもいいんだ。
キミたちは、自由だ。
想像力は飛翔する。
閉塞した電子と精子の切り結びの天窓を開け放つ、その想像力をぼくたちは歓迎する。
普通の留年男子大学生は、『カップヌードルごはん』でまんぷくになったりしない。
ぼくは、悲しい。とても悲しい。
『カップヌードルごはん』で生じている事象を事象として伝えられない。
- 出版社/メーカー: 日清食品
- 発売日: 2011/07/25
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ブランドマネージャーT氏なる人物の手により、すべての記憶が改変されてゆく。マーケティングとか商品開発とかいう繊細でかっこよろしい企業活動と、『カップヌードルごはん』という商品化が生んだ魔法のパッケージングにより、全ての事象は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、ぼくたちひとりひとりが童心を持って<あの日>から懸命に口へ掻きこんできた「カップヌードルごはん」が汚されてゆく。いや、浄化されていく。うつくしいものへと。すばらしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。
ぼくはそういった行為を許すことが出来ない。そういったパッケージングの言葉を許すことが出来ない。「カップヌードルごはん」は血であり、肉であり、なおかつ魂である。「カップヌードルごはん」は<土曜日のあの日>の人間の全てである。快楽を笑いを食欲を希望を発奮を高慢を全ての感情と汗と唾を飲み込んで地上へ湧きいでたヴァンリュである。混沌である。メルティングポットである。<土曜日のあの日>もそうだったし、<土曜日のその日>もそうだった。きっと<土曜日のこの日>もそうなのである。マーケッターやブランディングマネージャーなる人物はいつもこうなのだ。ぼくらの本当の「カップヌードルごはん」をくだらない美談で汚そうとする。いや、浄化しようとする。たまるものか。浄化されてたまるものか。全てを飲み込む「カップヌードルごはん」はぼくらひとりひとりの欲望で成り立っているんだ。なるものか。浄化されてなるものか。他愛もない話に書き換えられてなるものか。
日清食品 『カップヌードルごはん』 開発秘話
<あの日>だ。
<あの日>を憶えているか?
<あの日>をきみたちは憶えているか?
土曜日の<あの日>をきみたちは憶えているだろう?
土曜日の<あの日>、つねにすでに「カップヌードルごはん」はあったのだ。いや、あるのだ。
土曜日の半日授業から帰った小学生のぼくたちは、すでに「カップヌードルごはん」を食べていたのだ。
うそだと思うなら、実家でも自宅でもいい。どちらでもいい。
きみたちに<あの日>のお昼ごはんを供していた者に聞いてみればいい。
お茶碗のごはんとカップヌードル。
具入りおむすびとカップヌードル。
そういったお昼ごはんばかりだ。忘れているのだ。マーケティングと商品開発という巧妙な作為のために忘れているのだ。ぼくたちは土曜日の<あの日>、めいめいの<あの日>、半日授業から帰った〈あの日〉。テレビの前で吉本新喜劇か何かを見ながら、麺のなくなったカップヌードルにごはんを放りこみ汁をよく染みこませていたのだ。日本だけではない。世界である。世界中である。世界中のひとたちが『カップヌードルごはん』のために〈あの日〉の「カップヌードルごはん」を忘却しているのだ。インディカ米をカップヌードルに放りこんでた人、パスマティ米をカップヌードルに放りこんでた人、ネリカ米をカップヌードルに放りこんでた人、どれも同じである。みんな忘れているのだ。皆そうである。企業HPと商品パッケージから『カップヌードルごはん』に変な幻想を抱き忘却した人である。現実世界において〈あの日〉から遠く離れ、「カップヌードルごはん」と無縁の生活を送っている忘却した人である。もしくはそういう〈あの日〉体験がない、「テレビから半径5メートルの原風景」のないプチブルである。つねにすでにある巨大な「カップヌードルごはん」の欲望のニーズに合致したから、『カップヌードルごはん』はヒットしたのである。
>日清食品社内では、カップヌードル自体は別格のブランド。
>開発担当者K氏の第一声は「本気か?」
>至極当然の反応であったが、開発担当者K氏とは「日清GoFan」(ゴーハン)開発の苦労を共にしてきた仲であった。
>レンジ食品を成功させるためには、レンジ食品に消費者の目を向けていくには、カップヌードルというブランドが必要であることを力説するT氏。
>一瞬戸惑いを見せたK氏ではあったが、T氏の熱い想いに共感した。
>「やるからには納得のできるものを作り上げよう!!」
>このコトバは、マーケティングチームを勇気付けた。
>カップ麺と比べると、市場規模はまだまだ小さい。この市場を切り開いていくには、これしかない。という両者の思いが合致した瞬間でもあった。
>こうして、製品化に向けてマーケティング部と研究所による二人三脚の開発がはじまった。
(日清食品 『カップヌードルごはん』開発秘話 第2話)
>「カップヌードル味のごはん」である事を明示した試食調査をしたところ、「なるほど!たしかにカップヌードルの味だ!」
>「言われてみれば具材もカップヌードルそのものだ!」
>多くの人が口を揃えて言う。 >それはまさに、慣れ親しんだ味が「ごはん」でも受け入れられた瞬間でもあった。
>カップヌードルというブランドと、新商品の味がリンクしたことで商品パワーが増したのだ。
>「カップヌードルというブランドを使うことで世間に認めてもらえる突破口が開ける!」このとき改めてT氏は、確信した。
(日清食品 『カップヌードルごはん』開発秘話 第4話)
美談である。
うつくしい話である。
マーケッター特有の美談である。
すなわち、この美談こそ憎むべきである。
ぼくたちが求めたのは「カップヌードルごはん」であり、〈あの日〉の原風景である。懐かしい風景である。
ほんとうは、ぼくらは、原風景のなかで直截、面とむかって兄弟や兄妹や姉弟や姉妹と友だちとテレビの前で「おいしいね」と言いあいたいのだ。
けれども、言いあう場所はもうないのだ。言いあうひとは遠くにあるだけなのだ。
だからこそ、『カップヌードルごはん』に逃げ込んだのだ。
現在の生活世界に原風景はない。おさななじみと駆け抜けた山野もない。あの子とかくれんぼした集合団地もない。すこし暑い昼下がりのテレビの前で、「おいしいね」と言いあう友だちすらいない。居たとしても原風景の外である。〈あの日〉の外で。土曜日の〈あの日〉の外で、彼ら彼女らは潰れた農場と両親とを背に必死で働いていたり、教師の夢を叶えるために臨時教員として教師していたり、東京●工業大学を出てリン●アンドモ●ベーションにおいて激務のコンサルをしていたり、大学を中退して歌舞伎町でホストをしていたり、武蔵野なんたら大学でピアニストしていたり、大学在学中に膣内射精してじぶんの精を孕ませ中途退学し、じぶんの精のためにできてしまった家庭をなんとかするために働いていたりするのだ。もう蚊帳のそとなのである。むろんのこと、原風景にもどる方法はない。みんなに声をかければめいめいにきれぎれになった原風景をとりもどすことができるかもしれないとしても、その勇気がない。コミュニケーション能力がない。それは『カップヌードルごはん』においてもおなじだ。原風景を喪失したぼくらは、〈あの日〉の「カップヌードルごはん」を恢復できず、『カップヌードルごはん』をまがいものとしてしか消費できない。
エドワード・レルフはいつも良いことを言う。
- 作者: エドワードレルフ,Edward Relph,高野岳彦,石山美也子,阿部隆
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ぼくたちの「場所性」は、記憶や思い出と不可分だ。その「場所性」をも平にしてしまう。
「半径5メートルの原風景」とともにあった「カップヌードルごはん」、そしてその場所は、『カップヌードルごはん』というあのいやらしいマーケティングと商品開発と美談とに起源をもつものにとって代わられ、すべて均されてしまうんだ。
でも、〈あの日〉から蚊帳のそとにされたぼく(ら)は、『カップヌードルごはん』に逃げこんだ。ぼく(ら)が弱いからだ。ぼく(ら)がもっと強ければ、〈あの日〉を恢復させることができるんだ。ちりぢりになった友だちと家族と思いでとを持ち寄って〈あの日〉の場所に立ち返れるかもしれなかった。でも出来なかった。ぼく(ら)は非コミュだからだ。ぼく(ら)の声は空転するばかりだった。恢復された空間には、そこには「カップヌードルごはん」があっていいはずなんだ。あるべきなんだよ。言うべきなんだよ。おいしいって。よだれがでたって。いっしょ懸命、箸とかスプーンでご飯を口にかきこんだって。〈あの日〉の〈土曜日〉の〈あの時間帯〉の〈あの町〉の〈あの家〉の〈テレビの前〉の〈あの空間〉で、とってもとってもとってもとってもとっても幸せだったって!
ぼく(ら)の原風景を恥じるべきじゃない。
あんな貧乏くさい思いでなんて。屎田舎の文化乞食量産装置としての町なんて。クラブも性風俗もパチ屋もショップもない屎田舎なんて。…そうじゃないだろう。そんなんじゃないだろ。それが原風景だったし、それが原風景なんだ。「テレビから半径5メートルの原風景」で見た番組を、「テレビから半径5メートルの原風景」で食べた食物を、「テレビから半径5メートルの原風景」で友だちと遊んだテレビゲームを、ぼく(ら)は捨て去るべきじゃないし、恥じるべきじゃない。ぼく(ら)は「テレビから半径5メートルの原風景」でいっしょ懸命、麺がすこし残ったカップヌードルにごはんを染みさせて食べていたじゃないか。ぜんりょくで、口にかきこんだじゃないか。
だからこそ、思いでを抹殺された『カップヌードルごはん』を打(う)っ棄(ちゃ)って、今、はっきり言うんだ。ぼく(ら)が、「カップヌードルごはん」を口にかきこむのは、食欲のためでなく、まんぷくのためでもなく、つねにすでにある「カップヌードルごはん」そのもののためでもなく、ましてやじぶんじしんのためでもない。アイのためだ。ぼく(ら)の真実のためだ。たしかに存在したはずの、真実のアイのためだ。
潜入、破滅コミューン 〜現代のコミューンを訪ねて〜
9月4日。株式会社であり文芸同人サークルでもある破滅派さん主催の破滅フェスに行ってきました。
9時30分発の昼行バスに京都から乗り、15時なかごろ山梨県は北杜市に到着。
破滅派編集部の方と最寄り駅で待ち合わせ、車でフェス開催地の破滅コミューンへ。
こんな山のなかにありました。
破滅派編集部の方から事前に、「長袖、長ズボン、丈夫な靴で来てください」、とアナウンスされた意味が現地に行きやっとわかりました。
破滅コミューン(精確には、破滅派代表・高橋文樹さんが知人の方と共同購入した土地の一部)はなんか、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』にでてくる一族の初源の村ってこんな雰囲気だったんでないか、とおもわせる全景(山のなかだけど)。コミューンへいたる道もぼこぼこしていて、とても野性を感じました。
これはクマでるで……、とおもわずブルっちゃいましたよ。
以前から高橋さんのブログで土地開墾を注意深く見まもっていましたが、リアルで体感するとやはりまったく違いますね。いちおう長袖と長ズボン(膝までまくれるやつ)で行ったのですけど、靴がスニーカーだったので少し不安になりました。高橋さんや編集部の方には僕の膝まくりズボンのため、蛭に噛まれるのではないかというご心配をおかけしまくる始末。
かんぺきに迷惑なお客というイデタチで行ってしまいましたが、しかし、コミューンは自主精神をためされる場。ファッションなんて二の次だとわかっていた僕は、かばんに忍ばせて京都から持ってきた軍手をとりだすと、17時からはじまるロケットオアチリトリLIVEの準備に加わりました。
破滅派同人の方やロケチリさん、ロケチリズのメンバーの方とも満足にごあいさつできないまま、シートをひっぺがしたり薪をくべたりしました。はじめのうち、周囲の初対面の方にビクビクしていた僕は、うまいこと軍手を装着する間合いをもうけられず、薪を素手で火中へ投入するなどしてロケチリズの方に心配されまくっていました。「みなさん朝から現場入りしてんのに僕だけ夕方入りとか、不味かったかもわからん…」と内心おもいながらの作業。
しかし、ギターを持ちUST中継の調整にのぞんでいるロケチリさんを見ると、あふれるわくわくでそんな不安もふきとびましたね。
LIVE前にご飯。高橋さんとロケチリさんの誕生お祝いケーキを食べたり。
破滅フェスのメインイベント、ロケチリLIVEは野外で生音なのもあわさって最高でした。アンプラグドライブなのにも関わらず、ロケチリさんの声は僕たちの心にプラグイン(←)。僕の思う良い音楽は色彩を感じさせてくれますが、今回のロケチリLIVEの曲もばっちり色をみせてくれました。生で聞いた「ファンダメンタル・ストーリーズ」(作詞、僕)は神がかってましたね。
裏方的なことでいうと、今回のLIVE参加者にはおのおの初対面の人たちが多かったと伺いましたが、なぜか小気味いい連帯感でLIVEをつくっておられました。僕は主に薪くべをがんばってその連帯に加わろうと、必死こいてました。
台風の影響か、雨が降ったりなどありましたが、UST含めのLIVEは自己紹介中にどもってしまう残念な人が登場した以外、大成功だったとおもいます。UST中継は通信環境がすこし悪かったみたいですが、僕たちの破滅派さんなら来年?は万全の環境でやってくれるはず! 来年もぜひ参加させていただきたいですね。アーティストさんや観客が増えればもっとたのしいフェスになりそうです。
LIVE後はあとかたずけをして、高橋さんの運転する車で駅へ。破滅派の方がお家に泊めてくださるとおっしゃってくださいましたが、ご迷惑かけるのもあれなので、24時間空いてるファミレスとかで昼行バス待ちの時間をやりすごそうと決心。しかしその後、吉野家しか24時間営業のお店がないことに絶望する僕。
ジョナサンはAM2時までしかやってないし、メニューも高いしで心折れそうになりましたが、甲府駅を彷徨して幸運にもお安いビジネスホテルを発見、そこに宿泊しました。
そして、就職活動が倒せない不安を抱えながらはじめての山梨の夜に眠るのでした。
あ、今年の冬にでる『破滅派8号』に今回の破滅フェス体験記を載せていただくかもしれないのでよろしくお願いしますね。ネタはつきない。
甲府駅。
ホテルのテレビ。敷物はなぜか運動会の引出物。
§関連するURL
〇高橋文樹さんの山梨開拓記掲載ブログ http://takahashifumiki.com/others/1624/
〇破滅フェス紹介ページ http://hametuha.com/syoko/announcement/roc-festival/
〇ロケチリさんのマイスペ http://www.myspace.com/rocketorchiritori
「女子大生、内偵撫子は就活生である――」
――彼女をこんなにしたグローバル資本主義は‘大きな物語‘であり‘システム‘であり‘壁‘である。内偵撫子(ないてい・なでこ)は自らの経済的自由のためにグローバル資本主義a.k.a「.大きな物語・システム・壁」の中野シューショクカツドーという戦場でリトル・ピープルすなわち同じ就活生たちと闘うのである! がもうなんか限界なので、彼女は自死を選ぼうとしていた! それでいいのか、女子就活生・内偵撫子! 負けるな、内定無子! 彼女は大学の一番高い時計塔から飛び降りようとしているのである。彼女は数秒後、重力によって身体を運ばれ、ひとつの壁にぶちあたり絶命するだろう!彼女は、まだ若く、処女で友達がほとどんとおらず、そして喪女2ちゃんねらーであった! きー!
口の違うほう。
内定ぇ・・・